沖縄のお土産といえば、あまりにも有名な紅いもタルトの原料である紅芋。県民にはいったいどんなふうに食べられているのでしょうか。家庭でよく作られている紅芋料理のバリエーションと、沖縄独特の石焼き芋の移動販売車をご紹介します。

紅芋の活用法はタルトだけにあらず!

沖縄のお土産で不動の人気No.1といえばやはり紅いもタルト。読谷村に本社をおく御菓子御殿が、昭和61年に沖縄の特産品である紅芋を使って開発した元祖紅いもタルトを皮切りに、近年ではさまざまなメーカーから発売され、味や形のバリエーションが豊富になりました。

ただし、沖縄県民が日常的におやつとして紅いもタルトを食べているかというとそんなことはなく、あくまでもお土産の話。それならば、県民は普段どんなふうに紅芋を食べているのでしょうか。

スーパーマーケットや農産物直売所などに行けば、たいてい目にすることが出来る紅芋。紅芋とひとくちに言っても、皮も中身も赤いもの、皮が赤く中は白いもの、反対に皮が白く中は赤いものなどその品種はさまざま。味わいや食感も少しずつ違っています。

生のまま買って帰り家でふかし芋にして食べたりもしますが、お総菜コーナーに並んでいる紅芋の天ぷらや、蒸した紅芋をお砂糖を一緒に煮てきんとん状にした「ウムニー」などが手軽に食べられるとあって人気。

お菓子コーナーに並んでいる紅芋のチップスも、お茶請けとして昔から愛されているロングセラー商品です。また、毎年旧暦12月8日に行われる「ムーチー(餅、鬼餅)の日」には、もち粉と水を混ぜたものに、蒸した紅芋や黒糖などを混ぜ、月桃の葉で包んで蒸した伝統的な餅菓子が食べられています。

本土でいう端午の節句のようなもので、子どもの無病息災を願った行事です。毎年ムーチーの時期になると、スーパーなどではムーチーの材料として、紅芋がたくさん店頭に並びはじめます。

中国から琉球を経由して薩摩に伝わったサツマイモの歴史

かつての琉球王国にサツマイモが伝わったのは1605年。現在の嘉手納町にあたる野国村出身の野国総管(のぐにそうかん)が、中国から持ち帰った甘蔗(かんしょ)の苗を植えたことに始まります。その後、儀間真常(ぎましんじょう)が琉球各地に広め、これが種子島(1698年)、薩摩(1705年)へと琉球弧を北上する流れで伝わっていったと言われています。

その後、薩摩で栽培方法が確立し一気に全国へ広まったため、江戸で「薩摩芋」と呼ばれるようになったのだとか。

もしかしたら、現在サツマイモと呼ばれている芋は、リュウキュウイモになっていたかもしれない、知られざる歴史があったのです。

ウチナーンチュにとってはあたりまえ?真夏の石焼き芋

スピーカーから流れる「いーしやーきいもー♪」でおなじみ、石焼きいもの移動販売車といえば冬の風物詩ですが、なんと沖縄では年中どこかしらで見かけることができます。気温30度を超える真夏に聞こえてくる「いーしやーきいもー♪」は、県外出身の私にとってはかなり違和感がありますが、沖縄県民にとっては日常の光景だそう。

本土の石焼き芋販売車は、四角い釜に入った焼石の上にサツマイモが並んでいたと思いますが、沖縄の石焼き芋販売車では、なにやら細長い引き出しのようなものにサツマイモが一列になって格納されていました。

移動販売車だけではなく、沖縄ではスーパーにも目立つところに年中焼き芋コーナーがあり、焼きあがり時間には焼き立てアチコーコー(アツアツ)の焼き芋を買い求めるお客さんで賑わうほど焼き芋が人気。

南国の沖縄で、年がら年中アツアツの焼き芋が買えるというのはなんとも不思議な話ですが、琉球の時代から日常的に食べられてきたサツマイモの味がしっかりとウチナーンチュのDNAに刻まれているのかもしれませんね。