日本の食文化「おせち」は食べなくてもいいもの?いけないもの?
作るおせちから、買うおせちへ。年末はお歳暮シーズンが終わると、デパ地下には一気におせちブースコーナーが増えます、といいますか、ほぼ同時進行。ネット通販の世界では、早くも秋からおせち商戦が賑わい始めます。
それでも近年は、「味が濃い」「食べきれない」「飽きる」など様々な理由で、おせちを食べない人も増加中です。正月からファストフードのハンバーガーがいい、という人も珍しくなくなりました。年末年始だって、美味しい食べ物が24時間購入可能な現代において、日本の食文化のおせちは食べなくてもいいもの?いけないもの?
なぜおせちを食べるのか
そもそもおせちは、御節句の略で、年神様を迎えるためのおもてなし料理です。精一杯の高級食材を使い、願いや感謝を込めて作られてきたもの。ですから、料理ごとに意味があることは、皆様もご存知なのではないでしょうか。
子宝に恵まれるように「数の子」。五穀豊穣を願って「田作り」。まめに健康に生きようと「黒豆」。お金持ちになるには「きんとん」。-などはよく知られています。
その中でも、私が凄くイイなあと思っているのは「お煮しめ」です。お煮しめは根菜や鶏肉などを合わせて煮汁で煮た煮物で、特に高級食材は入っていませんし、おせちの中では割合に「地味」な存在です。
しかし、その一つ一つの食材にも意味があるんです。根菜類は根が張るように、地に足をつけてしっかり生き抜けるように。里芋は沢山子芋が増える特徴から、子沢山を願います。昆布は「喜ぶ(よろこぶ)」として縁起をかつぎます。
お煮しめに見る生き方について
お煮しめには、ほかにも絶対に欠かせない食材が入るんです。何だと思われますか?それは「蒟蒻」です。
単に入れれば良いというものではありません。結び形にしていれます。様々な個性ある食材を一緒に入れたお煮しめですが、その個性をまとめて全素材をうまく一体化させてくれるのが、蒟蒻なのです。蒟蒻が煮汁を吸っておいしくなって、全体の調和を作っています。縁を結ぶための結び形です。
まるで社会の縮図だなあ、と思うのです。様々な価値観や個性の人々と関わりながら、ひとつにまとめるコーディネーター的な役割の蒟蒻のような人は、とても重宝されます。
厳しい農業や環境の中で、全員が協力しあって自分だけを主張することなく生きることの大切さを、先人はおせちの中にも説いたのだと思います。
なんて、日本人は神経こまやかなのでしょう。目立たない料理の細部にまで意味をもたせ、おせちは作られ続け、守られ続けてきました。
現代のニーズと、おせちっぽいパーティ料理の相関
しかし、最近は、フレンチやイタリアン、中国料理、エスニック…となんでもおせちになるので、おせちというよりむしろ、お重にはいったパーティ料理のようです。それはそれで楽しいおせちですし、多様性を重んじる現代の生活や価値観では「アリ」と思います。
おせちは作っても味が濃くて飽きますし、冷めていますし、一人用も販売されていますが、それほどの執着はなかったり-。若い人にとっては馴染のない食材ですし、あまり好きではない「タイプ」の料理、になりつつあります。
それでも、私はたった一品だけでも手作りしませんか?と思います。それも、伝統的なおせちで。なぜって、例えばハスの代わりに冷蔵庫にあるセロリで作ってみよう、としたら…。ハスがもつ「先を見通せますように」の願いはなくなってしまうのです。
おせちは“こころをつなぐ”料理。「人生」の指南が込められている
味の好みや食材の好み、面倒だったり量が多かったり…。それでも一品おせちを作りませんか。
おせちは好き嫌いで選ぶ料理ではありません。心をつなぐ料理なのです。
おせちというおもてなし料理の中に、「人生」の指南があります。そんな食べ方をするのは、世界でも日本だけといえます。誇り高いと思いませんか。
一品の手作りが、次世代に何かを繋げるきっかけになるのだと思っています。
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