農薬や殺虫剤に関して私が若い時分に感銘を受けたレイチェル・カーソン著『沈黙の春』(1962年初版)に私は大きな衝撃を受け、また印象深く、それがもとで「食育基本法」につながっていったのです。

生態系への影響を訴え続けたレイチェル・カーソン

レイチェル・カーソンは1940年代~50年代に活躍をしたアメリカの生物学者で、1962年に刊行された『沈黙の春』を通じて当時殺虫剤として用いられていた「DDT」の生態系への影響や人体への危険性を訴え続けました。

そのきっかけとなったのは、カリフォルニア州にクリアレイクという湖があり、夏はバカンスで人が集まり、渡り鳥が飛んできていました。しかし、そのころ、訪れた渡り鳥のカイツブリが次々と死んでしまったのです。

レイチェル・カーソンはこの原因を調査していくなかで、クリアレイク周辺では小さなブヨ虫を退治するために、「DDT」の希釈液が殺虫剤としてまかれていたことを発見。

当初は7000分の1ほどで希釈をして散布し、その効果はすぐに表れたのですが、3年もしないうちに虫も徐々に耐性がついて再び現れるようになり、それに応じて「DDT」の濃度をさらに上げていったのです。

殺虫剤の成分は湖の生き物に蓄積され…

クリアレイクに棲息するプランクトンからこの「DDT」が検出され、小さい魚はそれが含まれたプランクトンを食べて「DDT」がどんどん蓄積され、大きな魚がさらにそれらの小さい魚を食べてしまい水面に浮かび上がるようになり、そして渡り鳥がそれを5~10年と食べていたことが原因であったと判明したのです。

この結果をレイチェル・カーソンは公表したかったのですが、当時「DDT」は最先端の技術でつくられた殺虫剤で、安価で大量生産が可能で効果も高く、国からも使用が認められているものだったのです。そのため聞く耳はもたれず、逆に国から圧力がかかってしまうのです。

最終的には「DDT」の使用は『沈黙の春』に端を発し撤廃されましたが、それはレイチェル・カーソンが1964年にこの世から去ってしまった後のことだったのです。

『沈黙の春』を読んでから、レイチェル・カーソンみたいになりたいと思い、食育基本法(平成17年6月決定)に持っていったのです。