京都出身で調味料研究家の松本葉子です。
京都には冬至には「ん」のつくものを食べ、お盆の最後の日にはあらめを煮るといった風習が今も残っています。
昔は「なんでこんな面倒なことせなあかんの?」と思っていましたが、最近ではこれも未来に伝えていくべき日本の大切な食文化だと思うようになりました。
さて、4月3日・4日・5日はみたらし団子の日。(3=み、4=(たら)し、5=(だん)ごの語呂合わせなのだそう)
というわけで、今回は京都のみたらし団子についてご紹介します。実はここにも「京都では当たり前だけど外からみると珍しい」が詰まっているのです。

京名物のみたらし団子はなぜこの形?

京都にはあまたの和菓子店がありますが、みたらし団子の店として古くから知られているのは下鴨神社の傍にある「加茂みたらし茶屋」(亀屋粟義)です。この店に伝わる由来によると、みたらし団子は、下鴨神社の糺(ただす)の森の中にある「みたらし池」にわき出す水の泡を象って作られた菓子で、その起源は平安時代にまで遡れるとか。また、昔は神前に供えて祈祷を受けた後に持ち帰って食べるものだったのだそうです。

そんな由緒あるみたらし団子ですが、写真を見て下さい。ちょっとヘンだと思いませんか? 団子がきっちり並んで串刺しされていません。1個と4個に分かれています。でもこれは決して雑な作り方をしているわけではないのです。

なぜこんな風に串刺しにしているかには2つの説があります。ひとつは、先述の「みたらし団子は水玉を模している」という話に基づく説。「水玉がひとつ浮いて、しばらくしてからぶくぶくとまた上がってきた」という様子を表現して、1+4に分かれているというのです。

もうひとつは、神事に使われる人形(ひとがた)と同様に、この団子で人間の身体(五体)を表しているという説です。私が子どもの頃は子どもたちはまず離れた1個を食べて「頭食べた!」と言うのがお約束?だったので、こちらの説を信じている人も多いと思います。確かに、1+4の根拠としてはこちらの方が強いかもしれませんね。

じゃあみんな食べる時は、頭から丸かぶり……ではないのが、京都のみたらし団子のもうひとつの「あれ?」につながります。

串を持たずに味わう京都の流儀

もう一度トップのみたらし団子の写真をみてください。団子に楊枝がささっていますよね。私自身はこれが普通で不思議だとは全く感じていなかったのですが、大学時代に東京出身の友だちとこの団子を食べた時、「なぜ楊枝が?」と言われて初めて、これが京都独特なのだと知りました。

串団子なのに楊枝がついてくるのは、団子を串から外して一個ずつ味わうためです。お茶席で出された生菓子を黒文字(菓子用の楊枝)で切り分けて口に運ぶのと似た感覚ですね。

加茂みたらし茶屋を訪れたら、地元の人らしい年配女性をチェックしてみてください。大抵の人が楊枝を使って食べていると思います。その品の良さは串をもってかぶりつくのとは雲泥の差。女性ならその様子を見れば、「私もやってみよう」と思うことうけ合いです。実際、一個ずつ楊枝を使って食べれば、串をもって食べる時にありがちなたれで手や服を汚してしまうことも避けられるので、これも女性にとってはメリットです。

京都は茶道が盛んな土地であり、また花街には「芸妓さんや舞妓さんが大きな口を開けなくてもいいように」と一口サイズにした料理があったりします。
そんなことからも女性が美しく団子を食べるために楊枝を添えることが普通になったのかもしれません。

美味しいたれも余さず味わいます

ところで、京都人にとっての美徳のひとつが「始末」。始末する=ケチと思われがちですが、そうではないのです。「無駄をなくす」「もったいない」を体現する生き方という感じでしょうか。
だからこそ、みたらし団子の美味しいたれも無駄にしません。かといって皿を舐めるなんてもってのほか、というわけで、ちゃんと木製の匙がついてきます。
匙を使って団子にたれをかけて味わい、最後に皿に残ったたれも匙で掬ってあまさずいただきます。ちなみに、団子を串からはずす時にもこの匙を使うと簡単ですよ。

というわけで、下鴨神社ゆかりのみたらし団子の食べ方を検証すると、これは単なるおやつではなく、女性を優雅にみせてくれるアイテムかも?と思えます。京都にいらした時には是非、下鴨神社を訪れて、名物のみたらし団子を味わってみてください。