明星食品が震災復興支援商品の開発に取り組み、震災の年9月に第1弾「仙台辛味噌ラーメン」を発売。その後毎年、被災地のラーメン店にこだわり、商品化し続けている。今年は岩手県宮古市の「ぴかいち亭」の醤油ラーメンを2月に発売した。2014年から開発に関わり、店主とのやりとりから、看板商品のカップ化に取り組んできたのがマーケティング本部第3グループの松川賢一副主事。担当は今年で5年目となった。三陸の被災した評判の店を訪ね、地元になじんだ味を再現してきた。

「私と松川さんの思いが詰まった商品だ」。ぴかいち亭の刈屋建二店主は岩手県庁での発表会でこう述べた。同店は津波で1階は浸水、厨房(ちゅうぼう)機器、製麺機は壊滅的状態となった。しかし、宮古市民に親しまれたラーメンの復活に立ち上がり、3ヵ月後に再開。

日本一広い岩手県の三陸沿岸部は北から久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田にそれぞれ名店があり、中でも釜石は24店でのれん会を構成しているほどラーメンが好まれている。復興支援を掲げ、同社は各エリアの店のリサーチから始まりリストアップしていった。

名店の最初は大船渡市の「黒船」。サンマだしで知られる店で、翌年は隣の陸前高田市「中華食堂・熊谷」。炊き出しを一緒にやったことが縁で、黒船が紹介した。両店がコラボし新しい「坦々麺」が出来上がった。「評判の2店でコラボができないか提案し、いいとこ取りが実現した商品」(松川氏)とのことだ。地域性がある商品だが、全国のコンビニに導入された。

15年発売の釜石市「新華園」は昭和26(1951)年創業の老舗。製鉄所で働く人々を待たすことなく、短時間で提供できるようにした細目の縮れ麺と優しい味のスープが特徴。やはり県庁での発表会で西条優度店主は「明星さんの北東北営業所の社員が突然来て、カップ麺をつくりませんかと申し入れてきた。熱心だったのでスープのレシピを教え、その後酒を酌み交わし、ラーメン談義が弾んだ」と語った。

どの店も最初から理解して商品化が進むわけではない。「最初は何を言ってるんだろうこの人たち、本当の話なのと訝(いぶか)るところが多い」(同)のはもっともだろう。断る店もあったようだ。

訪れる時間帯はもちろん昼は避け、休憩に入る直前。了解を得られれば厨房に案内され、食材も見せてくれる。再現できるなら全部教えるとまでいってくる。店にいる時間はおよそ2時間。何度かキャッチボールしながら試作品ができて発売にこぎつけるまでが約4ヵ月。

同社はこれまでも全国各地の評判のラーメンをカップ麺で再現し、高い評価を得てきた。特にスープは店の味にいかに近づけられるか、ハードルが高い。「あっさり系がほとんどで、微妙なところが難しい。さまざま食べてこの辺が分かるようになってきた」(同)と自信を深めている。

復興支援とはいえ販売計画があり、どんぶりタイプで100万食はそう簡単ではない。ただ、ボランティアであの町に行ったときの味が忘れられない。そのカップ麺ができたとい口コミでの広がりがある。カスタマーメールでもうれしい声が寄せられている。

勝負はおよそ半年。ぴかいち亭の進捗(しんちょく)は今のところ計画通りだ。風化にあらがい、復興支援商品に取り組み続ける。継続はまさに力なりといえる。

◇日本食糧新聞の2018年3月23日号の記事を転載しました。