静岡県熱海市在住のたべぷろ編集部員・古屋あたみんです。お酒と肴を求め味わいを堪能する魅力を追求し、発信し続けています。今回は和食の上品な一品として定番なかまぼこのご紹介です。
お酒のおつまみや旅館の朝食にかかせないかまぼこ。白く愛らしいかまぼこが、実は歴史ある縁起物だったとは意外に知られていません。老舗のかまぼこ店の多い小田原にはかまぼこ通りも存在する!
小田原かまぼこの歴史とお洒落な食べ方に視点をあわせてご紹介します。あなたも今日からかまぼこ通に。

小田原城下町が育む!かまぼこのルーツとは

私達が持つかまぼこのイメージはおせち料理の具材や旅館の朝食、お酒のおつまみとしての板わさなどが一般的ですが、今回は老舗のかまぼこ店の多い小田原に視点をあてて、意外なるかまぼこのルーツを探ってみました。

小田原のかまぼこの起源は古く江戸天明からであったと言われています。当時は沿岸漁業も盛んであったため、大漁の余った魚を西日本でも作られていたかまぼこを参考に、小田原独自のかまぼこが発展しました。


また小田原は東海道五十三次の宿場でかつ城下町であり、箱根の玄関口として賑わいましたが、当時箱根の難所であった峠越えなど交通不便であることから、鮮魚の流通の代わりに保存食としてのかまぼこが栄えていったわけです。

そして小田原城下町として参勤交代の大名たちに、かまぼこが名産品として流行るようになりました。

歴史ある食べ物の流行は、その土地の老舗店が生みだす事が多いもの。ここ小田原では旧東海道沿いに老舗のかまぼこ店が点在しており、「小田原かまぼこ通り」を発足。今もなお当時の江戸情緒のかまぼこ店の風情ある賑わいを垣間見る事ができます。

今回はそのかまぼこ通りの中の老舗中の老舗、創業江戸天明元年の鱗吉(うろこき)さんで、オーソドックスな板わさを地元神奈川県の銘酒とともに頂きました。

鱗吉さんは小田原ゆかりの北条氏ミツウロコを受け継ぐ、小田原でも由緒あるかまぼこ店です。

店内の囲炉裏茶屋風のカフェでは、江戸時代から変わらぬ味のかまぼこと銘酒を堪能しながら、当時のかまぼこ作りに使われたかまぼこ型をみる事もできます。板わさにはワサビ漬けですがそのワサビ漬けのわさびやお酒、そしてかまぼこは新鮮な白身魚と何よりも水が命。箱根の流水や恵まれた小田原の漁港、隣の静岡県のわさびなどを使用することにより、特別な献上品としての小田原のかまぼこが生まれるわけはここにあります。

創業天明元年 小田原かまぼこ発祥の店 鱗吉(うろこき)

そして縁起物としてのセレブなギフトかまぼこが生まれた

はじめは保存食であった白くて可愛いかまぼこ、その後縁起物や贈答品として大流行するとは当時誰が思ったでしょうか。

しかしそれには理由があります。実はかまぼこそのものは平安時代からつくられていました。当時の小文書に祝賀の席で、竹の棒に筒状に材料を巻いて食べたと言われており、その形がガマの穂に似ていることからかまぼこと名乗ったと言われています。現在のちくわがその原型とも言われています。

また当時は11月15日の七五三の日に祝って食べる風習があったとも言われ、その頃からかまぼこが縁起物として存在していました。全国かまぼこ連合会では11月15日をかまぼこの日としています。

縁起物としてのかまぼこは、その後かまぼこの老舗店が様々な四季の祝い事にふさわしい、飾りかまぼこなどをつくるようになり、まさにセレブな縁起物としての贈答品であるかまぼこが誕生していったわけです。
板にのせてさまざまな形状や美しい色合いを美しい白身魚の素材で表せることができる事から、日本古来の食のなせる業として、当然の事であったのかもしれませんね。

お洒落なオードブル感覚としての現代の小田原かまぼこ

そして小田原かまぼこの流派として、対照的な老舗店もあります。古くからある江戸時代の良さを引き継ぎながらも、オードブル感覚で食べるかまぼこを流行らせているのが、箱根駅伝の広告塔でお馴染みの「鈴廣(すずひろ)」のかまぼこです。

お酒のつまみとしてのかまぼこは元来からあるものの、ワインとともに楽しむオードブル的なかまぼこはワインが流行り出してから。

そしてシャンパンとともに楽しむ「かまシャン」なる言葉も生まれています。
オードブルそのものは華やかな席など、縁起のいい席になくてはならない食のスタート。
そのオードブルとしてワインやお酒とともにかまぼこを食べるのは、かまぼこが日本古来から伝わってきたからに他ならないのです。

かまぼこはもはや旅館の朝食にだけにあらず、小田原のかまぼこで日本人の優美な食の情緒にひたってみてはいかがでしょうか。

鈴廣かまぼこ